“クトネシリカが青鈍色に輝く時 氷壁は砕かれ 天への道は拓かれん”
この伝説はもちろんヤマト復活を表したものです。だけどアマテラス一行がオキクルミと出会った時、ウエペケレは復活した双魔神のために雪に閉ざされていました。おそらくオキクルミは、状況が状況だけに最初はこの伝説を「クトネシリカが青鈍色に輝けば、イリワク神殿から吹き込んでくる冷気が止まり、空に太陽が輝く」と受け取ったんじゃないかなーと思います。
「…その予言通り この宝剣が青鈍色の光を宿せば─
村に押し寄せる吹雪を討ち払うなど 赤子の手をひねるも同然…」
とか言ってますからね。この吹雪は双魔神の復活が原因だったので、吹雪を止める=双魔神を倒す、という考えなんでしょう。つまりこの時点でオキクルミにとってクトネシリカは、双魔神を倒す最終兵器だったんだと思います。
しつこいようですが、実際は全然違いますが。 ただしクトネシリカは、普段はその輝きを放たない。伝説のように青鈍色に輝かせるためには、何かが必要なはずだ。それは何だろう。
おつむの弱いオキクルミが必死に考えた先に得た思考の流れは、きっとこんなんだったんじゃないでしょうか。
クトネシリカは双魔神を倒す最終兵器
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最終兵器が目覚めるためにはそれが必要とされていること、正しく扱える者が存在することを示す必要がある
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つまり、その辺のザコケムラムなら楽勝で倒せる勇者が必要
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すなわち俺は勇者とならねばならない
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ケムラムぶっ倒す
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まだ輝かない=勇者と認められていない=力を示しきれていない=ケムラムを倒す数が足りていない
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ケムラムぶち殺す
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まだ輝かない=勇者と認められていない=力を示しきれていない
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いい加減数は足りてるはずなんだが
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強敵をも倒せる力を示すことが必要なのか
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オロチのところ行ってくる
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勝てなかった
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あとは双魔神を倒すしかない
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でもこいつら、最終目的のはずなんだが
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双魔神といい勝負をしていればクトネシリカが認めてくれるかも
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「おのれええええええええええええ!!」(返り討ち&生命の危機)
一応順立てて説明できるようには考えてみましたが、それにしてもずいぶん極端で唐突で意味不明な考え方をしていると思います。そこまで考えて、ふと思い出しました。1周目プレイ、初めてオキクルミと会ってその言葉を聞いている時、「このクトネシリカ、イペタムみたいな効力があってそれに頭がやられちゃってるんじゃないかこいつ」と思ったことを。
イペタムとはアイヌの昔話に出てくる刀で、日本語で訳すと「人喰い刀」です。このイペタムは基本的には刀をしまう箱の中に収められているんですが、いつも人の血を求めていて夜になると箱の中でカタカタ音を鳴らすんだとか。対処法としては箱の中に石だか何だかを入れておくと、それを喰うのに夢中になって時間が稼げるんだそうですが、そうでないと箱の中から躍り出て家主を喰い殺す。外に捨ててきても家に帰れば何事もなかったかのように箱の中にあり、底なし沼に投げ捨ててようやく家に帰ってこなくなる…という、だいぶ怪談のような語り口の多い物です。
血を求めて暴れまわる。まさにそれは、「大神」におけるオキクルミの姿です。
こういったアイヌの伝承と重ねて考えると、「大神」のクトネシリカは普段は持ち主をも狂わせる魔力があるんじゃないかと思います。それはおそらく、己の持ち主が本当に曇りなき心の持ち主かを試すためなのでは…とか。
ワリウネクルが異常なまでに脅えていたのもクトネシリカを触ったために魔力にやられてたんじゃないかなーと思います。怖がりながらもどうにかしてケムラム共を倒す!っていうのが彼の大前提でしたしね。
人任せだったけど。 ちなみにアイヌの伝説の中では、妖怪を倒すためには刀は輝かない方がいいとされています。よく研ぎ澄まされた刀だとその輝きに気付いて妖怪共が逃げてしまうので、錆付いた刀を使った方が気付かれずに倒せるという考え方です。なんだかこれも考えようによっては「大神」のクトネシリカと重なる気がします。
輝かない間は闇雲に妖怪共を倒す。輝いてからは村に妖怪が近づかないよう守る。おお、見事に一致!

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